先日、夏物の衣替えと合わせて、カーペットを丸洗いしました。
お風呂の浴槽にいれて、足でジャブジャブ踏んづけていますと、汚れが出るわ出るわ。
「こんなに汚れてたのか」と驚きました。思ってた以上のものでしたから。
これはなにもカーペットに限りません。
コロナ太りでズボンが窮屈になってきていたある方が、いつもの通り道で足を引っかけ転倒したそうです。
コロナ禍の中で、自分が思っている以上に運動不足で足が上がらなくなっていたり、自分が思っている以上にストレスがたまっている私たちなのかも知れません。
知らないうちに不寛容な心持ちになっていることだって考えられます。
「私たちはよく自転車に乗るけれど、ブレーキとかタイヤの空気とか、サドルの高さとか、自分の自転車の調子のよい音と悪い音はすぐに分かるだろう。分るようでなければ、自分の自転車とは言えん。
信心でもその通りで、自分の心の調子をようく聞き分けて、これは今日の自分の心の調子が悪いから気をつけなければいけない。
『自分の中の欠点がまた頭をもたげとるぞ。これは用心せねばなんぞ』と思って、自分の心を鎮めてやる。
これが信心というもの。
それを繰り返しておるうちに、自分の欠点の心が、神様のおかげで次第に役に立つ心になる。円満なものになるぞ」
と私は教わってきました。
繰り返し繰り返し、自分の心の調子を聞き分けて、自分がよいものになっていくのが私達のさせてもらっている信心です。
自分の心を見分けて、悪いところを見つけて立て直す。これが私達の一番大切にしなければならない生き方ではないでしょうか。
調子の良いときには慢心して失敗しないように、調子が悪いときには、過ちをしないように、その時々の調子に合わせて自分を整えていきましょう。
信心の心得