ー お参りの方々の声を紹介します。ー
お参りをし、わたしの気持ちを聞いてもらい、拝んで頂き、お話を聞かせていただいて勇気を貰います。帰り道は足取りが軽くて。
そんな嬉しい楽しい信心の定期検診を受けに行っている、それが私のお参りなんです。
(Tさん)
気分というモノは放っておけば悲観的になるもの。
先を楽しむ心(前向きな気持ち)とは、意志の力でそうなる態度であり、結果を迎えに行く積極的な姿と思います。
もし悲観的な気持ちに陥っている時、自分の常識のみで判断し、広い視野を持たぬ常識病にかかってないか、先を急ぎすぎてないか、お参りして自分の心を再確認してみてください。
教会の後を継いだばかりの頃は若くて心配しましたが、今うちの先生には文句の付けようが無いです。足りないのはお嫁さんだけです。
(※ 現在は既婚です。)
(Nさん)
特別お願い事があるわけじゃないですが、いつも電話で話をさせて頂いています。
うちは他県で遠いですが、コロナが治まったら一度お参りさせて頂きたいと思っています。それが私の願い事の一つです。
(Mさん)
よく人生を旅に例えることがあります。
自分が「不幸な人生だ。辛い人生だ」と言いながら、そこへ立ち止まってしまうと、辛い所で止まっていますから、いくら日にちが経過しても辛い事しか目に見えません。
一歩でも前へ進んで歩いていれば、必ず景色が変わってくるはずです。これが「旅をする」という事です。
その景色の中には辛い事、厳しい事もありますが、目の前や心の中が広々と明るく開けていくような面白い事、楽しい事もあります。
次々と景色が変わるので、前へ進んでいく事が出来ます。そして、ついには目的地へ。
様々な道中を通ってきた旅人たちが、旅の途中で疲れた心と身体を癒し、道案内を乞います。腰を下ろして一息つき、ここまでの道のりを振り返って反省したり喜んだり。
そこに居合わせた者どうしが意気投合、お互いの道中話に花を咲かせるのは、また楽しいものです。
ここからの行き道・方向を確認し「よし」と一声荷を負って、元気な心で再び出発。
そんな人生の旅の途中にある「道の駅」。それが教会という場所なのです。
尋求教語録 七十八節(後半)
「旅をすると金光様面白うてよろしい 見るもの聞くもの 皆変わって来ますから」
「面白いぞなあ 旅は行く程違うたことが見えてなあ 楽しみなものじゃ 御信神もその通りぞ 深く進む程違うた有り難いことに気づいて 御信神が深う深う広う広うなりますぞ」