今は亡き先輩は、よく私のことを褒めてくれました。
今考えてみれば、孫ほど年齢が離れている私のやることなすことを見て、何か言いたくなる事ばかりだったと思います。 合格点にはほど遠かったはず。
それなのに、「花を綺麗にイケてますねえ」「目に力が宿ってきた。目が違ってきた」とか、一つ一つ褒めて下さって、見守って下さって。 嬉しかった。 嫌なことも忘れ、元気が出た。
どんな人でも良いことを言われると、悪い気はしません。
昔から「誉めて、誉めて」という「誉め殺し」というのがありますが、これは違うと思います。
本当は「誉め生かし」ではなかろーか。
「誉めて、誉めて、悪く言わない」それで良い方へ良い方へ導いてあげる。
百の内、九十九褒める所がなく取り柄が見つからなくても、残り一を見つけてあげて、そこを褒め、辛抱強く伸ばしていく。
コレが本当に育てるという事じゃないかと思います。
私はそれをしてもらってたんですね。
褒めて育ててもらったなあ。 ジーッと拝み続けてもらっていたなあと感じるのです。
今、目をつむると先輩が、いつものように私のことを褒めて下さっているように思えてならない。そして、温かい気持ちになる。
私たちは、まず自分が自分自身をシッカリ誉めて、自分を「誉め生かし」にして、自分自身を育てていくことをしたいものです。
自分の思う通りに行かなければ スグに 「自分ほどつまらん者はない」「自分ほど不幸せな者はない」と言って
「誉め生かし」の反対をやって、重たい気分になって、ズルズル自分から自分を不幸にしてしまっている。
これでは、自分が幸せになれません。
大切なあの人、家族、または自分の尊敬する人が
自分のどういう所を見て、どういう風に褒めてくれているかアリアリと想像してみて下さい。
そして自分で、自分をまず誉めて「褒め生かし」をしていきましょう◎