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執筆者の写真いっきゅう

言い換えて見えてくるもの

 どこの地域でもそうなんでしょうか?


 何時の頃からか、こちらの地域では「燃えないゴミ」を「燃やさないゴミ」って呼ぶようになりました。


 チョットした言葉の違いですけれど、この言い換え、


「燃えない」よりも「燃やさない」って 言い方の方が僕たちのゴミに対する責任感・覚悟を感じさせる、そんな色合いが強くなったように思います。



言い方1つで、変わってくるものがある


 とある料理家が 弱火でチリチリ肉や魚など食材をフライパンで炒める

その弱火で炒めることを「シャンゼリゼ通りの雨の音」と表現していました



 僕は いつもセカセカして何でも強火で豪快に炒めることばっかりして、

じっくり時間をかけて弱火で炒めるなんて出来ない


 最初は弱火にしてても、もの足らなくなって直ぐに火力を上げたりしてしまう


 

 そんな僕が弱火で炒めている時に 音を気にして「シャンゼリゼ通りの雨の音か」と、少し音を聞くような気持ちに変わる。


 そうしたら、以前よりも弱火で炒め続けることが苦にならなくなりました。


 



 言い方で変わると言いましたが、向こうが変わったんじゃない。

 こちらの見え方が変わる、行動が変わるんですね。



 信心する者は「思い分け」 



 「思い分け」というのは、


・ 「神様のお心が自分の心の中に入って、自分がそれを納得した」ということ。


・ 自分の中で「これは、こういう風に思うて生きていったらいいんだな」と自分の生きる目の前がハッキリしたいうこと。


・ 神様から信神して授かる神様と同じ心を私たちが頂く”ということ。



 信神すれば この「思い分け」が頂けるから、自分自身を治め、心を治め、家を治め、全てがおかげを頂いて良い結果が頂けるようになる。



 これをシッカリ自分の身に付けるのが、信心の一番大事なことなんです。



 「シャンゼリゼ通りの雨の音」とか


 「燃えないゴミ」じゃない「燃やさないゴミ」なんだ というのは、


その“思い分け”に通ずる生き方のように思います。



 言い換えることで、

 それまで見えなかったものが見えてくることがあります。


 

 みなさんは、どんな言葉を使い分けて 思い分け をしていますか?


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