続尋求教語録28
『 本百姓なら草の山からでも米をとる 』
こういう教えがあります。
つまり、「本当にアナタがこのお百姓、この農業を自分の生き甲斐にして生きていくアナタなら、例え草の山からでも米をとるぞ」と。
信神する者の真剣さ、いかに自分が真剣な心持ちで自分の務めを務めさせてもらわねばならないか、という教祖様の深いメッセージが込もっています。
昔のことわざに、『上農は草を見えずして草をとる。中農は草を見て草をとる。下農は草を見ても草をとらん』とありまして、「上農」というのは立派なお百姓さんということでしょうか。
昔は肥料というモノがそうありませんでしたから、とった草を肥料として、また再び田んぼの泥の中にねじり込んで、もどしていたと聞きました。
本当にお百姓さんは、物を育てるために取っても取っても草が生える。その草と根比べをしながら一生懸命土を這って草を取っていきます。繰り返し繰り返し、キリがありません。苦労のある大変な作業です。
そして、大変な苦労のもう一つに、どんなにしてもお百姓さんが自分の作物を守れない防げないものがあります。
それは“天災”。
どんな風が吹いてくるか、どんな雨が降ってくるか、この“天災”は、被害に遭えばお百姓さんはどうしようもありません。
そのまま受けて、また一から始める。積み上げてきたものが全部パーになって、ゼロからやりなおしです。
これをコツコツコツコツ繰り返し、繰り返ししている内にとうとうそのお百姓さんは作物と話が出来るようになるといいます。
つまり、それが無駄なことじゃなくて、そこを通ったからこそ貰える素晴らしいモノ、尊い生き力というのものを得られるんだと。
この教えは、その事を例えにして私達に教えておられます。
「たとえ草がどんな事が出てきても、それに負けずに根比べをして、自分の人生のいろいろな難儀の草をとれ。そして神様から頂いておる自分の心を育てなさい。」
「たとえ自分にどんな難儀が向かってきても、どんな自分に耐えられないような事が目の前に起きてきても、それを一生懸命神様に縋って、その難儀の中を生きていけ。」
「神様はその難儀を無駄に与えているんじゃない。どうしてもココをお前が通らにゃいけん。これを通っていったら必ず神様が約束しとる自分の幸せな運命いう所へ手が届くぞ」と。
どんなことがあっても「コレを通らせてもらいます」「コレを通って、おかげを頂きます。どうぞ私の信神を研いてください。神様と同じ心を持つような、私の信神心を育ててください」。
こういうこと一本で前へ前へ進んでおったら、必ず神様が与えて下さっておるものへ自分の手が届くんですよと教えて下さっている教えです。
■ このコロナも災害です。天災と同じ。
地域の秋祭りでは、青年団の先輩が後輩に祭りの準備の始め方や進め方、何から何まで口で伝えていくし、やり方を実際に先輩がやってるのを背中で見せて教えていく、伝えていきます。
それが2年も祭りが止まりましたから、コロナで流されましたから、この風習が伝わらないんじゃないかと心配されています。
私どもたちの暮らしもそうです。子供たちがお盆や正月に帰って来れなくなりました。子供たちが、お祖父ちゃんお祖母ちゃんと一緒に過ごす時間とか、ご近所の人との挨拶とかコミュニケーションとか、地域の行事での和気あいあい、助け合いとか。
価値ある暮らしぶり、生き方が、全部どどーっと流されてしまいました。
また一からやり直しです。もういっぺん積み直しです。
コレは私の話。
私は友人に「メダカを分けて欲しい」って頼んでいました。
8月の末に、「そっちに持っていきます」「取りに行きますって」「いやいや、車でスグですから」となって、ワザワザ車で持ってきてくれたんですね。
この時友人は三人の子供も一緒に車に乗せて連れて来ました。小学生二人と幼稚園一人。
「ドライブがてら一緒に連れてきました」と彼。
子供をどこにも連れて行くことが出来なかったから、いつもなら地域の夏祭りとか、キャンプとかいろいろあるはずだったんだけど、この2年夏休みの想い出を作ってやれなかったから。
「ズーッと子供たちの世話をしてる嫁さんを少しでも楽にしてやろう」「ちょっとでも休める、ホッと一息つける時間を嫁さんに作ってあげよう」という、心優しい友人の奥さんに対する心配りがありました。
私は子供たちにしっかりお菓子を振る舞って「海にでも行こうか!」と提案。
近くの海岸に連れて行きました。
急なことですから、子供たちはビーチサンダルも、水着も、換えの下着も持ってきてません。連れて行って海を見るだけです。夕涼みするぐらいのものです。
気持ちだけでも盛り上がらなきゃと、私は車の中で「海は広いな大きいな♪」とのど自慢です。
そんなことが今年の夏の想い出のひとつとしてあったんです。
最近友人から聞きました。
彼の子供たちは夏休みの絵日記にその日の海のことを書いていたんだとか。青色の色鉛筆で大波小波をノートいっぱいに書いて「楽しかったー!」って。
私にとっても、あの日の海の夕涼みが楽しい想い出となりました。
コロナでいろんなモノが流されましたけれど、ちょっとしたことから、出来るところから、取り戻していったら良いんだと思います。
まだまだ油断が出来ませんが、よくよく感染予防に注意しつつ、和気あいあいでやっていく生活、みんな一緒に生きていく生活をとりもどしていきましょう。
「本百姓は草の中から米をとる」です。
「本物は草の中からでも、どんな土壌の悪いところからも、どんなことがあってもそれを乗りこえて、お米が取れるようにしてきているぞ。
黄金色に実っている美味しいお米の成分には、そういう代々の一生懸命が詰まってますよ」
「これから見せていきましょう、信神する者の辛棒の姿を。そして辛棒の実りを」
と教祖様も励まして言って下さってるはずです。拝んで下さっているはずです。