だんだんと稲の穂首がたれてきています。
赤とんぼは夕焼け小焼けの中をスイスイと泳ぐように飛んでいます。
日課の散歩をしていると風が心地よく、実りの秋だなと僕は嬉しい心持ちになっています。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
今月は、御本部を始め曽根教会でも 秋の大祭 が仕えられます。
大祭とは何でしょう?
これはひと言で言うと『お礼』のお祭りなんです。
「 お礼 」とは、本来「 御禮 」と書いたとのこと。
つまり豊かなこと、自分の心が広く肥えている状態のことをあらわしています。
ご信心する上で、ご祈念やお祭りも大切ですが、
神様に対して一番のお礼は、
自分の心が豊かになり、
『私は信神したおかげで、日常生活の中でこういう事が喜んでできるようになりました』
『前は貧しかった、傷をもった心の持ち主の私が、今はこんなに嬉しい心で毎日を過ごせるようになりました。どうぞ神様安心してください』
という日々の自分の姿を見てもらうことです。
日々の生活に生きがいを与えるはずの信心が窮屈に感じる時は、
自分の信神を見直す時かもしれません。
御大祭が そんなお礼や自分の信心を確かめ、
軌道修正のできるお祭り日となれば、
神様も朗らかにソレハケッコウ、ケッコウと喜んで下さるに違いありません。
それが新たなおかげの一粒となって、自分の中から芽が出てくると思います。
稲が頭を下げているのは、それだけ実ったからなんですね。稲は立派です。えらい!
神様のおかげで沢山のご縁を頂き、活躍の場も設けてもらって、僕はこんなに楽しく嬉しい生きがいのある日々を生きてるんだから、
稲と一緒になって 神様にお礼を申し上げるぞ。
僕は今、そんな気持ちでいます。
今の自分の信神が本物かどうか、ズレていないか、教祖様が拝まれていた神様と同じ神様を拝めているか。
忙しい毎日ですが、ちょっと足を止めて、改めて心を静めて、自分を見つめ返す大切な日としたいです。