白いところをさがして
- いっきゅう

- 3月10日
- 読了時間: 2分
ちょっとお高いお弁当や、料亭で出てくる、あの可愛らしいハジカミ。 そうそう魚の横に、ちょこんと添えられている赤い先っぽの生姜です。
あれ、食べられるところは白い方だそうです。
……らしいです、というのは、ついこのあいだまで私は赤い方をかじっていたからです。
「なんか固いなぁ」「スジ残るなぁ」
そう思いながら、真顔で。
人生というのは、案外こんなものかもしれません。知っているつもりで、全然わかっていない。
神職をしていると、よく思います。
手を合わせる意味。祝詞の言葉。お参りの作法。
知識として知っている人は、たくさんいます。 それも悪くはない。 でね、そこを私は実際に神様で手を合わせて、
「あ、なんか心が静かだな」
「ちょっと落ち着くなぁ」
そんな体験をしてほしいなと思うのです。 でも、そんな人は案外少ないように感じます。
人生も、どこか似ています。
人は知らないうちに、「こうあるべき」「こうしなければならない」「これが正解」
そんなものを、たくさん握りしめています。
けれど時々、思うのです。
正しさを少し放してみてもいいのではないか。
「べき」「ねば」「しなければならない」を、少しゆるめてもいいのではないか と。

何かを得ることは、何かを放すこと。
放すのは惜しいし、変わるのはちょっと怖い。
だから人は、つい「まあこのままでいいか」と、そのままを選びます。
でも、両手いっぱいに荷物を持っていたら、新しいものはつかめません。
ハジカミの赤いところを「これが正しい」と思ってかじり続けていたら、白いところの味には、なかなか出会えません。
ちょっと想像してみてください。
何かを放した先にいる自分。その人は、楽しそうでしょうか。
それとも、放さないまま進んだ先の自分。その人は、笑っているでしょうか。
人生は案外、少し手放した人から軽くなるみたいです。
ちなみに私は、次からは白い方を食べます。
もし今日、「なんか人生ちょっと固いなぁ」と感じたら。
それはきっと、まだ白いところに出会っていないだけ。
あるいは、「こうあるべき」をぎゅっと握りしめているだけかもしれません。
まあ、私みたいに赤いところをかじっていても人はちゃんと生きています。
だから大丈夫。
今日は少しだけ、肩の力を抜いてみましょう。
正解を探すより、味わってみる。
人生、案外その方が白いところに出会える気がします。


