昔から私は歯医者が嫌いで、とことんまで痛みを我慢してたことがありました。
そして、痛みを抱えたまま ご大祭を間近に控えたある日のこと、
奥歯の痛みが激しくなり
「こんな時に痛み出すなんて、何か御無礼があったのではないか。何か神様が私を診て何か気に入らないことがあって怒っているんじゃあないか…」
と私は悪い方へ悪い方へと心配し、不安に。
痛みに耐えかね、大決心。 歯医者さんへ予約を取って治療を受けました。
その時、歯医者さんが言ったこと
「よくここまで我慢してましたね。 いいですか、虫歯になるとどれだけ我慢しても悪くなる事はあっても、それ以上良くなる事はありませんから、次からは早めに来て下さい」 ちょっとした治療でズーッと続いていた先程までの痛みは嘘のように消え、ご飯が安心して噛めます。 今さらながら「もっと早く来れば良かった」 自分の意気地の無さを反省しました。
その時私は、以前ハンセン病の施設を訪れ「痛みは恵み」という言葉を聞いた事を思い出しました。
ハンセン病は、以前は「らい病」と呼ばれ、大変な差別を受けてきました。 この病にかかった人は、神経の障害のために汗が出なくなったり、痛みなどの感覚が無くなります。 手足が変形したり、潰瘍ができます。顔の形も変わります。と、話をして下さったその方の変形しているお顔を私は直視出来ませんでした。
「冷たい、熱い、痛い」が分かりませんから、力仕事や台所仕事などで簡単に火傷をしたりして、指がちびたり、すり減ってくるのだと話された、その施設の方の短くなっている指を私は今でも忘れることが出来ません。
そして、その方が「私は、痛みの無い世界にいるから分かります。痛みは神様からのお恵みです。」と言われたのです。
「そうか、痛みを通して神様は私に「早う歯医者に行け」と言われていたのか」と気がつきました。 それ以来、私は歯が痛くなったら、すぐ歯医者を予約し、治療してもらっています。
痛みは神様が「ここの場所を早く治しなさい」と言って下さるメッセージだと思って、早くお医者へ行くべきです。我慢するのが一番いけません。
そして、そのようにしてまで教えて下さる神様に対して、 自分が勘違いをして「これは何か神様に御無礼があったのではないか。罰を当てられた。」などと思うのはもっといけないことだと思います。 「痛みはお恵み」です。
「痛い」時に、今神様が自分に対して神様がどういう思いを持って自分のために働いて下さっているか、間違えないようにしていきたいですね。
信心の心得47
『 やれ痛やという心で有難し 今みかげをという心になれよ 』
痛みが出て来たことが、はや神様のお働きなのです。
そしてその「痛み」というのは、「体の痛み」だけに止まらず、「心の痛み」であったり、身の上に起きてくるあらゆる難儀のことだと思います。
そういった難儀を、神様のおかげを頂くために 自分に必要なもの として受けていけるかどうかが、私たちがおかげを頂いていけるかどうかの大きな分かれ道になるのではないでしょうか。
その昔、 ある教会の先生が「出て来たことは、みなおかげ」と「自分の身の上に出て来たことは、良いことも悪いこともみんなおかげだ」と言って自分を励まし、 お参りの人たちもその言葉を自分を支える杖のようにして人生の道のりを歩き、今次の代になって、その人の子供さん達までがその言葉を大切に持って、今の繁盛の元となる言葉になっていると聞くました。
「ホントのご信神をする者は、どのようなことに出会っても、おかげにします」
どんなことがあっても、どんなことが出て来ても、
その中からきっとおかげを見つけ、それを確かにおかげとして、自分の身につけ、我が信心を磨きあげ、さらに自分と身の回りの人たちが助かっていく元としていく。
『 やれ痛やという心で有難し 今みかげをという心になれよ 』 という教えの言葉から、 そんな覚悟のこもった先人達の思いがにじみ出てくるように感じるのです。