以前、ある80代の方が「私は若いもので」と仰ったので私はビックリしました。 その発言の意図を計りかねていたところ その方は「ですから、勉強することがたくさんあります」と続けました。 「皆さんが守って下さっているおかげで無事に過ごさせてもらっています」 「もの知らずの自分なので、信心して勉強させていただいているんです。 今日は神様から何を見せてもらえるか、聞かせてもらえるかと思うだけでワクワクしています」 と自分自身に言い聞かしている言葉だったのですね。
しばらく話しをして、ニッコリ笑って帰って行くその方の後ろ姿は 若々しく清々しいものでした。 その後ろ姿が未だに私の目に焼き付いています。 純真というのはこういう心の姿のことかと思いました。 更に言えば、私の方が心が老けこんでいる気がしました。
たえず勉ぶ姿勢が心の若さ、柔らかさの秘訣だと思います。 「生涯青春!」というかけ声だけではダメで、必ずそこには「生涯勉強」がセットでなければならないのではないでしょうか。
読書をすると、いかに自分がものを知らないかという事に気がつき、知識を身に付けたくなって、もっと本が読みたくなると私の先生は仰っていました。 「本を読め。本は良いぞ」と。
その言葉の通り、いつもお参りするたびに本を読んだ感想を面白そうに語ってくれて。 少しは先生に追いつけているかと思いきや、それはまったく私の錯覚。 更に先へ進んで行ってる。全く追いつけそうにないと感じた事が何度も
与えられた生命を燃やして 生き道を行く先生の姿は輝いて 亡くなった後も夜道を照らす月明かりのように 私たち後の者を導いてくれています
生涯青春
私はというと、少し自分で出来だすと、うまくいけば褒められて鼻を高くし、信心の足が止まったり。 分かりきったことが分からず、少し分かれば全部知りつくしたように思い、 神様のおかげで出来ていることさえ忘れてしまい、 自分がするから自分の力だけのものしか出なくなる。 そのために失敗すればしおれたままで、 初心を忘れていたことに気がつけたとも喜べずに憂さ晴らし。これの繰り返し。 これが私の正体 心が老け込み、自惚れの字の如く惚けている。 「私は若いものですから自分は知らないことばかり、だから勉強することがたくさんあります」 あの80代の方のように、元気溌剌 青さを取り戻そう。