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執筆者の写真いっきゅう

燕雀相賀(えんじゃくそうが)

 散歩していると、トラクターを丁寧に洗う人の姿が。

 田植えの準備が始まっています。昔はああやって牛を洗ってやってたのかもしれませんね。近所の奥さんたちは、ある家の軒先を見ながら「今年も帰って来たねえ」と立ち話。

 燕がスイスイと出入りして、一生懸命子供たちにエサを与えてました。


皆さんは、


「燕雀相賀(えんじゃくそうが)」


という昔の言葉を御存知でしょうか?



 これは家を建てた時の喜びの言葉で、新しい家を燕も雀も「自分のお宿が出来た」と喜んでいるという意味だそうです。

 その昔、燕は人の出入りがあるところに巣を作るので、燕が巣を造った家は「縁起が良い、繁昌する」とされ、わざわざ家を買う時に鳥の巣箱を買って取り付ける人もいたんだとか。


 それが今や「家に巣を作られると汚れる」と撤去する世の中となって・・・。これは人間中心過ぎるように思います。


 とある大阪の不動産屋さんの入り口の天井近くに燕の巣があり、他の家の間取りとか値段の張り紙が並んで貼り付けられる外壁のスペースに、『ツバメ用賃貸。築五年。敷金礼金0円。家賃0円。今年も入居中です』と、ひときわ目立つ張り紙が。

 そうやって、「燕が子育て中でごめいわくお掛けします。気をつけて当店の出入りをして下さい」と頭上に巣があると通行人に知らせているのです。


 こういう風に知恵と工夫、そしてユーモアをもってみんな仲良く一緒に暮らしていかなくちゃ。


 そう思ったのも束の間、 最近わが家の床下から子猫の鳴き声が聞こえてきて、どうにも寝付きが悪く、朝のご礼拝の時に「どうにかなりませんか」と神様に申し上げている私なのでした。


亡き恩師、私の先生なら

「猫も生きるのに一生懸命なんじゃから、どっか行け言うわけにはいかんぞ。あんたが気にならなくなるようお願いしとるからな。そういうおかげを頂きましょうな」


とおっしゃるに違いない。と、思い分けをし、私は布団を頭からかぶって寝ています。


 母猫は子供におっぱいをあげ、ぺろぺろとなめてあげて、あとはウトウト眠たそうにしている。

「産後、子育てに悩むママさんが多くいるっていうけど、子育てってこんなんでいいのよ。それ以外に何かある?」とお母さん猫が言ってそうに見える。


 野良猫に野人の信神を見たと言ったら、言い過ぎかもしれませんが、動物から教えられる事がたくさんあります。

 

 猫もママ友、いや信神仲間なのでは?


 本来、人間と動物の関係は、飼い主と飼育される側という上下関係ではないはずです。

 「一緒に生きていく」「共生」を、現代に行っていくにはどうしていったらいいでしょうか。




- 才崎教会初代 片岡次郎四郎先生のお話 -


 お結界へお百姓さんが参ってきて、


「田畑の作物を収穫しようという時になると、いつも鳥や獣が出てきて荒らします。大変困っとります。神様のおかげを受けて作った収穫を守ってもらいたい。どうぞ神様にお願いをして下さい」


とお取次を願われました。


 その時に才崎の初代は、

「そうか、それは困ったろう」と神様にお願いをしてから、


「神様がなあ、あんたの収穫しとる、その収穫の中に鳥や獣の食べる分まで神様が収穫さしてあるんぞ。だから決して田んぼに出来たもんは、全部わしのもんじゃと思うたらいけん。神様はなあ、あんたも生かさにゃならんが、自然の鳥や虫や獣、そういうものも生かされるんじゃ。そのことはよう承知をしなさいよ。


 それを恨んでな、鳥や獣を敵と思うたらいけんぞ。神様は、鳥にも獣にも天地の恵みを分けて、人間と同じように生きさせて下さっておるんじゃ。


 けども、あんまり度が過ぎて、あんたの生活に困るまで荒らしてもろうてはいかんから、それだけはしてくれるな言うて、よう神様に願うとるからな。あんたの収穫いうものはそういうもんなんぞ」


と言うて聞かされたそうです。





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