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焦げたハンバーグ

 良い夫婦の日ですね。そういえば、こんな話がありました。


 ある日、あるご主人のお家の夕飯はハンバーグだったとか。


 奥さんがハンバーグが乗ったお皿をいつものように食卓に置いてくれまして、この方は「さあ、みんな揃ったから頂こうか」「頂きます」と食事を始めました。


 お箸でそのハンバーグをブスッと刺しますとそのハンバーグは焦げていました。


 それも黒く焦げた面を裏返しにして、奥さんがこの方の前へ配膳したんだとか。


 お箸を刺してハンバーグを切りわけた時に裏側の部分が見え「あっ」と思い、この方は奥さんに対して次のようなことを思ったそうです。


「ごめん焦がしてしまったと一言あればそれでイイ話なのに、何故こんな事をするのか!? しかも、ごまかそうとして焦げた面を裏返しにして…」


 ムッとしたというか、情けない思いになってため息が出たというか。



 しかしその時、この旦那さんの心にそれを打ち消す思いが生まれました。



「いや待て、そうじゃない。


 これは嫁さんが「料理は見た目も大事だ」と思って、焦がしてしまったけどせめて見た目だけでも綺麗にしてくれてたのかもしれない。


 焦がしたことは言い忘れているだけかもしれない。


 よく考えてみたら、昔からワシが嫁さんに難しいことをブツブツやかましく言ってきた、時にはガミガミ言ってきた。


 何か嫁さんが一言言ったら、そのひと言に噛みついてブツブツブツブツ何倍にも返してきた。


 そのツケが今返ってきてるんじゃないか?



 うちのカミさんをこうしたのは自分自身だ。


 人を変えようと思ったら自分が変わらねば。

 まず自分を改めて 自分が変わったら向こうも変わるはず。それが信心じゃないか。


 ワシは今までこの逆をやってきていたぞ」


とハッと気づきました。



「まず自分の仕立て直しのおかげを頂こう。


 男の箸と女の箸で世の仕合わせをはさむというけども、この箸のように夫婦仕合わせていこう」



 この方はジーッとお箸を見つめながら考えました。


 そして、裏が焦げたハンバーグを一口サイズに切り分け、お箸でつかんでパクッ。



 食事を終えて「美味しかった。ごちそうさまでした。ちょっと焦げてたな」 とお皿を片しました。



 そのことについてこのご主人が教会へ参ってきて、「こういう妻に私がしました。これは私の修行です」と教えてくれた事がありました。


 その時すでにこの人は80歳を超えていましたが、そうやってご修行されていたのです。


 何歳になっても「イイ夫婦」になるために仕合わせていたのでした。




 出てきた事柄に、良い心を合わせていく。


 それを「仕合わせる」といいます。これは信心の修行で一番大切な、結果を出していくための心がけです。



 これはもちろんご主人だけではありません。

 奥さんも努力、辛抱があります。心を配っております。どっちかが一方的に楽をして、どっちかが一方的に辛抱していると言うことはありません。


 このご夫婦は毎年二人で旅行をされていて、外から見たらとてもイイ夫婦なんです。仲良いご夫婦ですが、中を開けてみたらそうなるようにお互いが心を配っていました。


 仕合わせを掴むために日々心配り、努力していたわけです。



 お箸は長さが違ったらモノを掴みにくい。


 お互い仕合わせていって有難いものを、落とさぬように、夫婦箸でシッカリ挟んで掴んでいきたいものですね。


 夫婦それぞれお互いが心を合わせていけば、どんなよいモノが生まれてくるか、僕はお道の先輩夫婦やご信者の皆さんから、実際の姿を通してハッキリ教えてもらっています。

 


 
 


今ここ 神様とともに

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