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執筆者の写真いっきゅう

清書する気持ちで

皆さんは、教会にお参りして神様を拝むとき、どこを見てますか?


 僕はお参りして神様を拝むその前に、時々「良いお酒がお供えになっているなあ」とお酒の瓶をジーッと見ています。


でも決して「美味しそう」って、指をくわえて見ているんじゃないんです。


 実は僕は、日本酒のラベルに書いてあります「月桂冠」とか「日本盛」とか、お酒の名前を見ているんですね。






 あの文字を書いているのは昭和初期とか明治とか、当時の高名な書道家の人による作品なんだそうです。


 それぞれの酒造メーカーが、自分の所の大事な商品の顔となる文字を、当時の高名な書道家に託したんですね。


 それらの「書」は、ただのロゴデザインではありません。



 全て数多くのお手本である古典に学び、かつその古典を土台にして、


 その上に築きあげたもので、その一つの「書」を世に出すまでに書道家の方は何十回何百回と何度も何度も、姿勢を正し、清書して出来あがったものなんです。



 そこまでしてできあがった作品には、その書道家ならではの書風、味わいがある。



 だから世に出てから何十年経っても、その「書」は鑑賞に堪えうるものになっているんですね。


 20年後、30年後の今の世の中になって、改めてまじまじと見ても、陳腐な作品にはまったく見えません。



 どうです?


 お酒の瓶に書いてある文字が見たくなったでしょ?




 金光教の言葉で「実意」という言葉があります。それは神様のお心のこと。

 「丁寧」とは、何回も繰り返すこと

 「実意丁寧」というのは、「教えて頂いた神様のお心を、何度も我が暮らしに繰り返し使っていくこと」と僕は教えて頂いています。



 それが神様のご信用をいただいていくために一番大切なことなのだと。




書道家の方が酒瓶のラベルの文字を発表するまでに、どういう風に作り上げていってるか、その過程のなかの誠実に字と向き合う姿。


 それと同じように、信心する僕たちも、しっかり学ぶべきことを学び、姿勢を正して何度も繰り返し繰り返し我が暮らしに使って清書をしていくこと。



 そうすれば、どんな自分だけの信神のカタがいただけるか、どういうモノが自分の中から出て、我が身を助けてくれるか、周りの人を励ますか分かりません。



 どうか皆さんも、「実意丁寧」を大事にして下さい。



 僕は酒瓶のラベルの文字を見て、「実意丁寧」を自分に再確認させてもらっています。




続々尋求教語録 106



『漏れ手で粟の掴み取りの気を持つな と金光様はおっしゃられたが 実意で丁寧なのが一番 丁寧なのと愚図いとは大違いぞ 丁寧にしたら暇がかかると思うようでは実意でない 損得を思わず丁寧にしたらおかげで空足は踏まされぬから 早くもあるが第一したことが逃げぬ』


 


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