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執筆者の写真いっきゅう

母の日でしたね。

 先日は母の日でした。


 幼い娘さんがかばんから小さいお財布を取り出して、お母さんのためにプレゼントを買う姿を見かけました。


 とても微笑ましかったです。


 僕自身も大きなことは出来ないけれど、小さな喜びを積み重ねていけたら良いんだなと思ったようなことでした。

 ある時、お道の大先輩の先生に「何をする事が一番の親孝行になるんですか?」とお尋ねした事があります。



 親の一番の安心薬は、子供たちが元気な事。


 元気な姿を見せてあげたら、元気な声を聞かせてあげたら、どれだけお母さんが安心されるか分からん。



 そういう子供達が仲良う助け合って生きていたら、ホーッとする。

 そういうアンタ方親子の様子を見て神様もご先祖様もどれだけ安心するか、満足するか分からんぞ。



と教えてもらいました。




 つい「こうしなきゃいけない」とか、何でも難しく考えてしまう僕の悪い癖。


 先輩は、それを見抜いたうえで以下のような言葉を付け加えてくれました。



 物事は、あんまり「恩に報いる」とか、「スジ、スジ」いうてスジ論とか難しい事を言いよるとな、


 情のある思い、情の通うた生活いうのが出来ん。



 人間生きとんじゃから、お互いが情の通い合うたような、そういう生活をさしてもらわにゃな。



 それから、親は歳をとったら同じことナンベンも言うようになるけどな、


 こっちが「分かった分かった」というぐらいに聞いていて、親が亡くなった後になったら「あれだけ聞いてた事が何も覚えてない」いうことがある。


 じゃからな、これから特に親が自分が通った信心の道中話、おかげ話をしだしたら「お母さんチョット待った」いうて録音させて貰いなさいよ。


 ワシもテープに録って持ってるのがあるよ。



と教えてもらいました。



 

 大事なことは「何をするか」じゃなくて、人としての温もり。


 そして、親の生きざま・大切にしてきたことを知ること。



 面と向かって聞いてもなかなか大事な話は出てこないから、普段からメモをとるぐらいの気持ちでいなくては。



 それが自分を生かしていく貴重な財産になると思います。




 皆さんは、親のどんな話を聞いて、自分のために残してますか?

 





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