明けまして、おめでとう御座います。
旧年中はイロイロとお世話になりありがとうございました。私のブログに目を止めていただき有難うございました。
今年もどうぞよろしくお願いします。
その昔は、年が明けたらみんなが一緒に年をとっていたんだとか。
当時は、この世に生を生まれてきた時点で1歳。
ですから、12月に生まれた人は、この世に生を受けて、たったひと月で2歳になってたということです。
こういう方は正月を迎える度に損したような気分といいましょうか、
「もうワシはこんな年になってしまったのか。年はとりたくないもんだナア」と正月からため息を付いていたかもしれませんね。
私も今の年齢になってきて、誕生日に「おめでとう」と言われても、もうひとつピンと来なかったんです。
しかし、ある人の言葉を聞いて気持ちが切り替わりました。
それはテレビによく出ている所ジョージさんの言葉です。
所さんは「歳をとる」という言い方をしません。
どういう言い方をしているかというと、
「いいねえ、あの人はああいう“歳のもらい方”をして」とか、「私もああいう“歳のもらい方”をしたいもんだなあ」とか、
「歳を取る」というところを、あえて
「歳をもらう」と言い換えてるんですね。
これは、所ジョージさんの発想の転換からきている言葉でした。
「またひとつ歳を取ってしまった。もうこんな歳になったか」と思ってしまうものだけど、チョット待てよ。
知らないうちにネガティブになっているぞ。
よく考えてみれば、歳を重ねるいうことは当たり前のことではない。神様からたいへん貴重なモノを貰っているんじゃないか。
こればっかりはお金で買えるもんじゃない。
そうすると、これはため息付くどころじゃない。ネガティブになるどころじゃない。嬉しいことなんだ。
当たり前としたらイケない。有り難い、勿体ないことなんであって、これを喜ばないでどうするんだ」
という発想の転換。
これを自身に言い聞かせている言葉だったのです。
推察するに、所さん本人が数年前に熱中症で倒れたことがあって、この事が尚のこと身に染みて分かるのではないでしょうか。
自分の誕生日を喜べないのは、やっぱり損する生き方と思います。
また、「歳をもらった」というのは、これはなにも所さん独自の発想ではなく、私たちの祖先が元々持っていた発想だったと思います。
その昔は、お正月でみんな一斉に誕生日で歳を重ねた事を考えてみますと、
「お年玉」というのは本来、お金のことじゃなくて「歳を貰っている」という感覚が昔にはあった、そのナゴリが現代まで伝わって残っているのが「お年玉」という風習なんじゃないかと私は思うのです。
また、「貰う」という言葉について私は私の先生から、
「ただ与えられたモノを受け取ったいうんじゃ『貰った』とは言えん。ジーッと持ったままじゃいけん。
それを役に立てて使うことが出来て、はじめて『貰った』と言えるぞ」
と教わりました。
そういう事を思い出しながら、私は新年を迎え、
「歳を貰っているんだなあ」と胸にジーンと来るものを感じ、この喜びを今年の私の原動力に変えて1年のスタートをしました。
神様や親先祖さまから
「お芽出度う、いい歳にしような。あんた一人で生きているんじゃない。心配いらんぞ。一緒に生きていくからな、今年もみんな一緒に元気で出発しよう。お芽出度う、元気にいこう」
と歳を手渡されている、お年玉を貰っている私たちなんです。
どうぞ皆さん、こういう神様や親先祖の声を心に感じとって1年をスタートしましょう。
今年もよろしくお願いします。