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梅の花 桜の花

「 株分けの株分け寒アヤメ 」

師匠のところから 分けてもらった寒咲きアヤメ。


今年も咲きました。



そもそもこれは師匠の師匠のところに咲いていたものを

師匠が株分けしてもらったそうな。


それを私がまた株分けしてもらったわけで




受け渡されたものってあるな 


バトンを受け取ったな って思うのです。


さて 今日はみ教えをひとつご紹介します。 御理解 第二十九節

櫻の花の信心より 梅の花の信心をせよ 櫻の花は早う散る 梅の花は苦労しておるから永う散らぬ             

 神様は「わしは梅が好きじゃ、桜は嫌いじゃ」というようなことはおっしゃいません。



 私どもの信神には、梅の花から習わねばならない信神があるし、


 桜の花を通して神様が教えてくださる信神もあります。



 当然のことながら、神様はその両方を認めておられます。




それにもかかわらず、冒頭のみ教えではっきりと


「桜の花の信心より、梅の花の信心をせよ」


と教えておられるのは、どういうことでしょうか?





 それは、教祖様の許へお参りされた人があって、


 教祖様がその人を見て


「この人は、寒の中を耐えて、しかも美しい花を長く咲かせる梅の花に習った信神をしたほうが良い。」



と思われたからこのみ教えを下げられました。




従って、別の人に対しては


「定められた短い期間を一生懸命咲いて、潔く散っていく。桜の花のように、人から惜しまれ、慕われる生き方を学びなさい。」


と桜の花の信心をお勧めになるかもしれません。



桜には桜、梅には梅の生き方があって、それぞれが全部神様のお心を表しています。



私たち人間は、桜や梅の生き方を見習って、そこに表れている神様のお心を知り、真の生き方を学ばねばなりません。



「あなたは、桜の花から何を習いますか?あなたは、梅の花からどういう生き方を習いますか?それを習うのが信神ですよ。神様は、いろいろなことを通して見せてくださり、教えてくださるから、それを一つでも良いから自分の身につけて、自分を本物の人間に育ててください。そうすれば、おかげを受けて生き甲斐ある人生を歩むことができますよ。」



と教えておられるのです。 今日はこのへんで◎

 
 


今ここ 神様とともに

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