なくて七癖。 僕は何かあると二言目には「お金がないから」と言っているらしい。
言われる方からすると、それを言い訳にして行動を起こさない風に見えるんだとか。
確かに「お金がないから」って言葉は断り文句として使いやすく多用している覚えがある。本当のことだから呵責も感じない。
ただ僕はそれを多用してきたせいか、いつの間にか「自分はお金がないから、こうなってしまうのも仕方ない」と卑屈な性格になってやしないか。
そんな風に思うのです。 卑屈とは、自分を卑しめて妥協する様、意気地のない態度のこと。 もっと言えば、お金に対する嫌悪感も僕にはあるような気がする。
「そりゃオメエ心が貧乏じゃな、心を豊かにせにゃいけんで」
と亡き我が師の声が聞こえてきそうだ。
自助・ポジティブシンキングの自己啓発活動で世界に影響を与えてきたアンソニー・ロビンズ曰く。
「お金は今持っているものを増やすだけ」
これは、ただ財産が増えると言ってるのではない。
不幸な人がお金を持つともっと不幸になるし、不安そうな人がお金を持つともっと不安になる。
腹が立っている人はお金を持つともっと腹が立つし、幸せそうな人がお金を持つと、もっと幸せになると言っているのです。
これは、どういうことでしょうか?
私たちは「お金があると安心する」「お金があると自由になる」と思うものですが、実は違う。
得ても不安な人は「これだけだと不安、これでも足りないんじゃないか」と、不安な人がいっぱい持ったところでもっと不安になる。 逆に幸せそうな人は、もっとお金持つと「ああ、これで誰かに何かしてあげたいな」と思うのだと。
やっぱり教えの通り? 《お金の杖は曲がる》のですね。
では、豊かな心とはどんなのでしょうか。 僕は古川柳にそのヒントがあるように思う。
なんぼでもあるぞと滝の水は落ち 前田伍健
金もなく朝日まばゆき家に住み 岸本水府
大日本天気晴朗無一文 川上三太郎
温かみがあって自虐自嘲ではない笑いと喜び、
ない方よりも今ある方に意識を向けていて、それを味わい切ってる感じがする。
励まされる。
あればあり無ければ無いで苦労するよりも、
あればあり無ければ無いで新しい元気を出す。
そうやってお金に対しても向き合っていきたい。