人に物を贈るときに、つい謙遜して「つまらないものですが」と言っちゃうものです。
でも、神様のお恵み下さるものに、つまらないものなんて一つもありません。
考えてみるとこの言葉は自分を下げています。自虐的であり、自尊感情を自分から下げてしまうNGな言葉かもしれません。
「お口に合えば良いのですが」
「とても美味しいものだから、アナタに食べてもらいたくて」
そんな風にいえたら良いなと、実は僕も練習中なんです。
僕がよく聞くラジオ「安住紳一郎の日曜天国」に、お父さんの愉快な話としてあるリスナーさんからこんなお便りがありました。
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これは私の小学校五年生頃のエピソードです。
1980年の半ば頃、テレビではお中元にカルピスといった感じのコマーシャルが流れていました。
我が家にもありがたいことに、いろいろとお中元を頂いていたのですが、その中にカルピスのお中元はありませんでした。
まだ子供だった私は、「テレビでお中元にカルピス、カルピス、と言っているのに、なんんでウチには来ないんだ」と両親にぼやいたところ、
ある日学校から帰ったらカルピスのお中元が届いていたのです。
送り主を見ると、父でした。
私のぼやきを覚えていたのか、父は自分の家に自分の名前でお中元を贈っていたのです。
この時、父の心づかいが嬉しく、今も心に残っています。
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お父さんから送られてきたカルピスのお中元、どれほど嬉しかったことでしょうか。
その時の気持ち、よく分かる気がします。
子供の頃、家の届くお中元が気になりながらも、お中元の意味も分からずにいて。
サラダ油、洗剤、ハム。「何でうちには子供向けのお中元が来ないんだ」と思ったり。
そんな時に届いたカルピスのお中元。
喜んでキャッキャ、キャッキャと飛び回ってたと思います。
確かに自分が喉から手が出るほど求めに求めていたカルピスだったかもしれない。
でも、それ以上に嬉しかったのは、カルピスをわざわざお中元として家に配達してくれたお父さんの気持ち。
きっとお父さんといつも一緒に居る気持ちになって、お父さんといつも一緒に遊んでいる気持ちになって、嬉しくなって飛び跳ねたと思う。
そういう情が通い合う親子の姿って良いな。大切だな。
そういう子供を助ける・守り支える親心がありがたいです。
こういうことで子供の自尊感情が上がっていくはずです。子供が自信を持って生きていけるはずです。
なにも特別なことをする必要はない。ちょっとしたことで良い。
それを幾度も積み重ねて親子の関係を築いていくことが、生きる力の贈り物となると思います。
あなたは大切な人に、どんな心のこもった贈り物をしますか?