top of page
執筆者の写真いっきゅう

心に詰め込んで

最近 近所で道路工事をしています


そして我が家を挟んで 反対側で 

今まで空き地だった所に家の新築工事もはじまっています 

(どんな家族が引っ越ししてくるのでしょうね)



連日 大きなトラックが前の道を通ったり

建築現場での特殊な機械がドッスンドッスン地響きをたてていて


振動が伝わってくるんです


我が家はユサユサ揺れに揺れて 僕の身体も揺れています




揺られながら僕はこんな話を思い出しました



「瓶という入れ物は壊れやすい 空瓶にして放っておくほど壊れやすい

ただし瓶は何かを入れていっぱいにしておけば以外と壊れにくい


それと人間の心がちょうど同じこと



信神して いろいろと神様のお心の話を聞いて


一つ一つうなずいたら それを自分の心の中に入れて詰めていく



そうしたら そういう一杯になった自分の心からは神様の有難いこと 自分に助かる有難いものがどれ程に出てくるか分らない




だから 


おかげを受けて自分の心の中にご信神のことをしっかり詰め込む


これが我々のさせて貰っておるご信心というものなんぞ」




もしかしたら、


この揺れは 僕が今まで習ってきたこと 経験してきたことを 


奥にぎゅっと詰め込むために 


本当に身につけさせようと


僕という筒を神様がトントン揺さぶってくれている… のかもしれない◎





大切なことは


自分の心を空っぽにして放っておかずに


どれだけ自分に納得したこと


自分がなるほどと思ったことを


自分の心の中に詰めていっぱいにしていくこと



それで 自分の身上に 自分の周りに対しても役立てていけるし

みんなが喜んで生きていけるようになるんです


 


これが僕たちの信神の姿




どれだけ年数をかけて 回数かけてお参りをしたところで

もし自分の心が空瓶のままだったら 何をしに参ったのか分からない


そうでないお参りを心掛けていかねば と思います


しっかり一つ一つ詰め込んでいきましょう 



あなたは 今日何を習いましたか?






御理解五十四節

「徳のないうちは心配する。神徳を受ければ心配はない」



「徳」とは、その人の行いということ。

 自分の心で思い心の行いと、その思った心を元にして自分が体を動かして、毎日のご用をさせてもらうという体の行い。それがその人の徳。


 ですから徳と言うと自分の思いや考え、これがその人の心の行いであり、徳なんです。それから自分の体を動かせていろいろとさせてもらう、これがその人の徳の表れなんです。


ところが、自分の心が空瓶のように空っぽですと、心が貧しい。


 いろいろなことを思い、いろいろなことに悩んでおるけれども、自分の心がからで、貧乏なために、なかなかよいことはできない。よいことは考えられない。


 これを「徳のないうちは心配する」とおっしゃっておられるのです。


 

bottom of page