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執筆者の写真いっきゅう

天に口なし

 まだまだコロナの状況は油断出来ません。


 今年のお盆も、離れた家族が集まりにくい状況だったと思います。皆さんはどんなお盆をお過ごしになりましたでしょうか。



 以前、僕がよく聞く『安住紳一郎の日曜天国』というラジオ番組に、お盆にまつわるリスナーさん(40代)からのお便りが紹介されていました。(以下)



 

 小学校低学年のころお盆の時期に千葉の房総の母の実家に帰ったときのこと。


 母から「迎え火というのはこうやってやるんだ」と、庭でオガラを燃やしながらお盆の風習のあれこれを教わっていました。


 (オガラは麻の茎の皮をむいて、お盆のナスの馬の足とかにもしたりします。)



 当時母方の祖父が存命でしたが、祖母は私が生まれた直後に他界していました。

 

 当時私には祖母の記憶はなく、祖母の顔といえば仏壇の白黒写真でしか見たことがない状態。


 「おばあちゃんはこの煙を頼りにこの家に戻ってくるからね」。母はそう説明しました。



 その時、家の電話が鳴り、母は庭から家の中へ戻っていきました。


 私は一人、庭で送り火の火の番をしていました。


 そうすると、「はい、こんにちはー」と人が来ました。



 なんと庭先の扉の向こうに祖母がいるでありませんか。死んだはずのお祖母ちゃんがいるのです。


 「仏壇の白黒写真の人だ!」


 私はまさに飛び上がるほど驚き、思わず後ろにたじろぎ、転ぶほどでした。言葉を失いました。



 そうしていると祖母は庭先の扉をギイっと開け、ズイズイと勢いよく入ってくるのです。


 「うー?あー!?」とパニックになっていると、電話を終えた母が戻ってきて一言



 「あら、オバサンご無沙汰」



 そう祖母の妹が登場したのです


 私から見れば大叔母でしたが、大叔母は祖母に本当にそっくりだったのです。


 大叔母に会ったのはその時が初めてでしたが、その出会ったシーンと当時の自分の驚きは今でもありありと覚えています。





 あまりにもタイミングが良かったんでしょうね。めちゃくちゃ驚いた事と思います。


 親戚とかは年をとってくると背格好が似てくるもの。後ろ姿なんかはほぼ一緒。


 僕も最近「おじさんに顔が似てきた」と親戚のお兄さんに言われましたもん。そりゃ、このリスナーさんも見間違えてもおかしくないです。



 ただこれを笑い話として終わらせてしまうのは、信心する者としてはうっかりしている。もったいないと僕は思います。


 



尋求教語録第52節


『天に口なし、人をして言わしむということがあろうがな。神様は人の口を借って言わされることがあるから、信神しておる者は、子守の歌でも気をつけい。うっかり聞いてはならぬぞ』



 ハッキリとこの教えに


「神様には口がない。その代わり、人を通して、人間を通して、周りの人を通して神様が言わすことがある。


 神様がその人の口を借りて神様の心を伝えているということがあるから、


 信心している者は例え子守の歌が聞こえてきても、それを自分の心で受け止めて、ただ事にしてはなりませんよ」


 と仰ってます。



 教祖さまの教えの中には、


 「言わされる」とか、「聞かされる」という、そういう言葉をお使いになってお話になっている教えがアチコチに出てきます。



 「言わされる」というのは、言おうと思って言うたんじゃない。思わず知らず、口をついて出た言葉。


 「聞かされる」というのは、自分が聞こうと思って聞いたんじゃありません。思わず知らず、耳に聞いたもの。


 というより、「心に感じた」ということです。



 これをシッカリ受け止め、「これはただ事ではないぞ」と思ったら、


 言った者も、聴いた者も、両方がその事によって助かっていくということです。




 耳で聞く、口で言う言葉に違いはありませんけれども、これは心で受ける。心で感じる。心に浸みこんでくる「神様からの言づけ」「神様からのメッセージ」といってイイと思います。



 信心する者が一番大切にしなければならない、大切にせずにはいられない神様からのご指示。


 先ほどのラジオのお便りの方も、見間違えたんじゃ無い、見させられたんだと僕は思うのです。


 

 僕たち私たちの先頭には神様が立って下さり、

「少しでも良くしてやろう」「少しでも喜んで幸せになるように」と、良い方へ良い方へ神様が運んでいてくださる。


 そのシルシに、そういう言わされたり聞かされたりといった事が次々出てくるんです。



 僕たちは一人で生きているのではありません。


 神様と人とは、この目で見て、この耳で聞き、この口を通して、確かに心を通い合わせ繋がって、毎日の行いに表せるのです。




①これらを一つ一つ大切に扱って、神様と人と、親先祖と自分とが仲良く一緒に生きることを大切にしていきましょう。



②神様からのメッセージを間違って聞いたり、気が付かずに素通りしたり、間違うて受けたりしないように、そのためには信心を習い、信心力を養っていく。



③このメッセージの気づきによって、知らないことを吸収し、新たに自分の生き方に使って自分の身につけていくこと。

 これが吸収出来たら、器が広がって、広がれば広がる程に神様のお働きを受け取ることが出来て、自分に巡り会った人達へも渡せて、助かってもらえるモノとなります。



どうぞ皆さん、

「今日は神様が何を教えて下さるのかな。見せて下さるか、聞かせて下さるか」と楽しみに、これからの毎日の生活を過ごしていきませんか?


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