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執筆者の写真いっきゅう

夏にありがとう



四回目の緊急事態宣言となっています。

ある方は、「コロナがあけたら、電車に乗ってどこか旅行に行きたい」と仰ってました。去年から買い物などで出掛ける以外、電車に乗っていないのだとか。


一番の感染予防は、出来るだけ外出を控えること。

実際にそれをやってみると分かりました。お出かけできないっていうのは、こんなにストレスがたまるものなのですね。


必要な用事があって外出する時も、マスクの下は汗でべっとべと。



そんな不自由な生活を強いられていますが、それでも私はこの夏に「ありがとう」と言いたいです。



外出が出来ない分、しっかりオリンピックも、パラリンピックも応援できました。


普段見ないような映画までレンタルして見ることも出来ました。


オンラインで遠くの友人たちとも話し合いが出来るようになったり、その他にもたくさんの得がたい経験を積むことができました。



こういうところを通ったからこそ、得ることが出来るものがあった。

そんな風に思います。





「辛抱する」ということは、「辛捧する」ということ。



つまり、辛いことを両手で捧げ頂くような心持ちになって、「神様、これでおかげを頂きます」とそこを通っていくこと。それが結果の出せる信心の姿勢だ。


と、私は教えてもらいました。



お薬ひとつとっても、


「このお薬も神様のお恵みの賜物です。神様ありがとうございます。これでおかげを頂かせてもらいます。これで体調を良くさせてもらいます」


と捧げ頂くような心持ちで


「いただきます」



「そうやってお薬を頂くと、私はお薬の効果がよく出るようになりました」と言っていた人もいました。(個人差のあることと思われますが)



昔から「良薬口に苦し」といいますが、なにもこれは薬に限ったことでは無いと思います。


皆さんは、このコロナ禍の辛抱はどういう辛抱をしますか?


辛いのを抱えて、ただ我慢していきますか? 


それとも捧げ頂いて通っていきますか?



これはちょっとの心掛けの違いかもしれません。

けれどもこの心掛けが、なにか後々で大きく違ってくるように思います。




教祖ご理解  第47節


「祈れ藥(くす)れにすればおかげも早いが 藥(くす)れ祈れにするからおかげにならぬ」




続々尋求教語録 第124節


「稲は土用の日照りで出来込む 御信神はえらい(しんどい)事じゃ 辛い事じゃと思わず 辛棒さして貰うておるうちに出来込んで よいおかげが頂ける 泣き事を言わずに 先を楽しんで信神辛棒してみなさい」




「辛抱」の「抱」を、あえて「棒」の字としています。



文字が心をあらわし、思いを語るもの。


「辛いことは抱えさすまい」というのが神様のお心です。「辛い、えらい」を「抱」きかかえている「信心辛抱」では泣き言が頂けるだけ。



「えらい、辛い」。


これを「神様が『これで信神しておかげを受けえ』と仰っているのだ。きっと頂きます。受けさせて下さいませ。」と捧げていくのが御信心であり、これでおかげが頂ける。


才崎の金光様は、これが親神様と一心になる御信心とお頂きになって、信をお磨きになり、おかげの道をお開きになりました。


「辛さではない、神様のお当てがいになった我がためのもの」とありがたく捧げ、奉っておいでになりました。



何か辛いことがあった時に「これでおかげを頂いていきます」という信心の杖をついて進んで行く、信心の棒を持って歩んでいく。折れず曲がらず。の意がこめられています。



まさしく、今の私たちを励ましてくれる道しるべの文字であり、言葉と思います。




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