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執筆者の写真いっきゅう

体の丈夫を願え。

 今年の10月のこと。

 私は腰を痛めてしまいました。秋の大祭当日が一番状態が悪かったです。


 立ち上がるのも一苦労。くしゃみひとつしただけで腰に響くほどでした。

 大変な思いをしました。皆さんにもご心配をかけてしまいました。


 動かしづらい身体を必死に動かしながら大祭の祭事を仕えましたが、

 私の気持ちとしては「なんでこんな大事な時に。つまらぬことになってしまった」と自分を責めるわけです。






 そのことについて、後から思い出したのは次の言葉でした。

 

 「自分の手や体に対してお礼を言う。それでおかげを受けた人が大勢いますよ」。


 これはある教会の先生の言葉で、指が動かなくなったあるプロのピアニストさんも、


 この「自分の手にお礼を言う」ことがキッカケでまた指が動いて弾けるようになり、今も海外で活躍してるんだとか。




「今まで長い間世話になったこの腰だから、今度はこちらが守る番なんだ」


 

 「もうツマラン腰になってしまった。年齢のせいか、腰まで若くないことに。無様なものだ」というような、そんな事を思うのは間違いでした。


 自分の腰に対して「今まで長いこと世話になったな。今疲れが出てるんだから、今度は私の方がアンタを守っていくからな。」と言ってあげる。


 これまで一生懸命頑張ってやってきたけれど、腰がついてきてくれたから今までの活躍が出来た。

 この腰がついてきてくれてなかったら、何もできてなかった。


 今こそ我が身体のことを神様に拝んで、今度はコッチが守ってあげていく番なのですね。

 そうすれば、きっとその気持ちに身体のほうも応えてくれるはずです。



 腰にコルセットを巻き巻き、私は腰に「いつもありがとう」と声をかけながら養生しました。


 おかげさまで今は完治して、腰は再び活躍してくれています。これからも仲良く助け合い、いたわり合いしていこうと思います。


 身体くん、今年も一年ありがとう。


 

続々20

『御信神しておれば神様を拝み、おかげを受けたらお礼を申すのは当たり前のことじゃが、手を拝み体にお礼をいう心になったら、なお、おかげを受けて不自由はない』



 皆さんは、身体に対して感謝したことがありますか?


私どもは、「一番大切にしないといけない我が身体である」と言いながら、自分勝手に、けっこう乱暴に使ってきておることがあると思います。


 それをこれまで文句も言わずに黙ってついてきてくれた我が体です。


 体は心に支えられて行いをおこします。心は元気な身体に養われています。

 相互関係で成り立っています。


 年末の今こそ今年の我が身体の働きに感謝して、来年の「体の丈夫」を願うべし。



 もっと自分の体と仲良くさせてもらいたい。感謝しながら、これからもつき合わせてもらいたいです。


 自分を大切に。どうぞ、お身体大切に。

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