御理解 第62節(後半部分)
神信心も手習(てならい)も同じ事一段一段進んでいくのぢゃ俄(にわか)に先生にはなれぬぞ
この御教えの一番のポイントは言うまでもなく「一段一段進んでいく」という部分です。
この言葉に神様の大きなお心が込められています。
つまり、
「私は決して手抜きは致しません。丁寧に着実に間違いなく、一つ一つ良い事を積み重ねていきます。そのためには、苦労を厭いません。」
というご信神の進め方、ご信神をする者の姿を「一段一段進む」と表現されているのです。
楠の一寸太り
『楠の一寸肥り』という昔の言葉があります。
これは例えで、一遍に大きくなった木は役に立たないという意味。
楠という大きな木も、少しずつ育って大きくなる。
そのように楠の一寸肥りでいかねばなりません。
つまり、
いっぺんに成長するよりも、一足一足成長することが大事なんだということです。
これはもちろん、何も早く育ったから駄目で、遅く育った方が良いということではないのです。
こつこつと育ったものは、すべてにおいてバランスが取れている。 そのバランスが取れているということが、そのものの値打ちとなります。
これが大事なこと。
だから、人間もバランスの取れた人間であるということが一番大事。
そのことをようく心掛けていかせてもらいたい。
バランスの取れた人間になるためには、目の前で起きてきていることをようく自分で見て、ようく人の話を聞いて、ようく考えて正しい判断をする。
年輪を積み重ね、太く長く
お互いそういう人間になりたいものですね。
誰でも、早く安心のおかげが頂きたいと願います。
しかし、心配が安心に変わるまでの道中の無事、それを通らせて貰うおかげを受けることが第一だと私は思います。
その道中があってこそ初めて
「ああ、おかげを頂いた」という安心へ辿り着くことができるのです。
このことを「一段一段進んでいく」と御教えになっておられるわけなのです。