暖かく過ごしやすい日が続くとはいえ、秋も深まってきました。毛布を出したり、ジャンバーをはおったり、皆さんも衣替えを済ました事と思います。
僕もタンスに詰め込んでる冬服を引っ張り出して、タンスにはパンパンに夏物衣類が。
ある時、衣替えを済ませ冬物のズボンに足を通した際、ポケットに500円玉が入ってました。
ありゃこんな所に。まぁでも自分が入れたままにして忘れていたのでしょう。
これは自分のしたことですけれども、突然のご褒美を頂いたようで嬉しかったです。小躍りしました。
聞くところによりますと、リスも同じ様なことをするんだそうです。
リスは、冬は雪が降って食べ物が無くなりますから、その厳しい冬に備えて、木の実を見つけてはそれを食べずに、あちこちに隠す習性があるんだとか。
それも同じ1箇所にぜんぶの食料を隠しておくと、その場所が水に浸かったりとか何かあった時に困るので、
保険を掛けてリスは冬を越すための食料である、ドングリや花の種とかをアッチの木の穴、コッチの土の中という風に何カ所も隠して回るんです。
ところが、せっかくアチコチ隠した食料をリスは自分がどこに隠したか忘れちゃう。(僕のポケットに入れた500円玉と一緒です)
それで、その「忘れっぱなしにされた木の実」がそのまま地面に根を張り、発芽して、やがて大きな木になったりするんですって。
これはなんとも童話みたいな可愛い話ですけれど、
事実、リスがアチコチに貯めておいた木の実が思わぬところで木を増やし、森を作っている。
その森はリスの子孫だけではなく、たくさんの生命をはぐくむ場所になっていて。
これは、「リスが美しい森林をつくってる」と言っても過言ではありません。
けれども、もしこのことについてリスに尋ねたら、きっとこう言うでしょう。
「森をつくったのは私じゃありません。これはきっと神様がなさった事だと思います」
僕には、森林を作っているリスと神様とが一つになっている姿が目に浮かぶのです。
僕たちは信心を習いながら、自分の暮らしのいろんなアチコチの場所に信心で習った心を配り、心を込めて行っていくという生活をしています。
そういう心を込めた行いが、その行いの繰り返しが、自分の想像以上の大きな働きになっていく。よいものが生まれてくると思います。
以前、あるお婆さんがこんな話を聞かせて下さいました。
この方はお正月に孫たちにお年玉を渡す時に、
「これはお祖父ちゃんとお祖母ちゃんからですよ」と言葉を添えて手渡すんだそうです。
すでにお祖父さんは十数年前に亡くなっていますが、この方は本心からそう思って「はい、お祖父ちゃんからよ」と孫たちに言って渡すのです。
なるほどこれがあって、孫は普段から亡きお祖父さんの存在を感じ、自然とみたま様に手を合わせることが出来ているのだな。
それもあって、この人のお孫さんたちがみんな感受性豊かに健やかに優しい心を持って育っているのかも。
お婆さんは、ただお金を渡すだけじゃなくて、信心を渡している。その信心の種から芽が出てきてると僕は思いました。
信心は肩に力を入れる必要はないのかも。見返りを求めず、自分の出来るところで。
この方を見ているとそんな気持ちになるんです。
あんまり難しいことを思わず、リスが冬支度をする姿のように暮らしの中のアチコチに心を配っていきませんか。
それが知らぬうちに大木に、森になっていくかもしれませんよ。