「 背負う 」
教科書を
風呂敷に包んで
学校に通っていた息子
私と母とで内職をして
ランドセルを
買ってあげた
母ちゃんありがとう
家中を
ランドセルを背負って
駆けまわっていた健一
あれから 五十八年
あなたは今
何を背負って
いるのかしら
上記の詩は、九十二歳から詩作を始め、詩集としては異例の発行部数一六〇万部を記録した柴田トヨさんの詩の中の一つです。
今年も雪がとけて春が来ました。
毎朝お母さん方が見送る中、小学新一年生たちが登校していくことでしょう。
ドドドッと駆けっていったり、ワーワーと毎朝賑やかな通学路。背中にはぴかぴかのランドセル。
同じくボク達も背負っているものがあります。
「孝」
という字の上の部分、
「土」に「ノ」は、杖を前に出してつく形で、これは年老いた親の姿を表し、この親の下に「子」という字があるのは、親を背負う姿だとか。
つまり、生き死を越えて子の仕合せを思う親心を有り難く背負い、その思いのあるところを我が心にかけ、手足を使い行っていく。
そういう風に暮らしていくのが「孝行」なのだと僕は教わりました。
教祖様が「神はわが本体の大祖ぞ信神は親に孝行するもおなじ事」と、信神と孝行とを相通ずる道として情理を尽くし教えて下さっているのがこのお道なんですね。
これをもっと身につけていきたいと思います。
親として私のためにお骨折り下さる親神様と共に生きていくのが私の信神。
自分を粗末にすることは親を粗末にすること。親を粗末にすることは自分を粗末にすること。
そう自分に言い聞かして背負い、一体となって今日も出発しましょう。
ぴかぴかのランドセルは、僕たちの背にも。