「意外と何かのついでに写真を撮ることは、出来そうで出来ません。今日は写真を撮る一日にするぞ。という気持ちでいかないと納得のいく写真はナカナカ撮れないです」
写真を趣味にしている方が、そう教えてくれました。
僕たち人間は、古代より「いつ狼に襲われるか、天災がくるか」と危険予測をしてきたことで、生き延びてこれた生物と言えます。
それが現代で言う「心配する心」の本来の姿ではないでしょうか。
だから、放っておいても自然と人間は悪い方を未来予測してしまう。
つい「先々を悪い風に考えてしまう。こんなこと考えちゃだめだ、気持ちを切り替えよう」と、心配ばかりする自分を否定しがちです。
でも、
心配は悪いものではありません。自分を助けてくれるものなのです。
車で例えると、アクセルだけでは目的地にたどり着くことはできません。ブレーキがあってこそたどり着く。
だから自分自身の「心配する心の声」を否定するのは違うと思います。
神様が不必要なものを僕たちに与えるはずはないですもの。「心配する心」と仲良くできたらいいですね。
問題は、ブレーキが強く効きすぎること。
僕も一人で過ごす時間が長いと、「ああなったらどうしよう。こうなったら困る」と、ついつい先々のことを悪い方に考えてしまうことがよくありました。
そしてそれを切り替えようと思って、何度頑張ってみてもダメでした。
否定してたから。
でも、最近は「どんな良いことがあったかな」「今日の自分はああいうところがイケてたな」とか、
そっちにピントを合わす、フォーカスしていくようになって気持ちが楽になりました。不思議と体調もいい感じがします。
今僕はそれを習慣化して、
《心配する心を否定することなく、良い方にピントを合わす癖付け》をしているところです。
6月がスタートしました。
冒頭のカメラマンの言葉ではないですが、今月はどんなひと月にしたいですか?
「こういうひと月にするぞ」ということを意識してスタートしましょう。
良い方にピントを合わせて。
(※ もし自身が心配ばかりしていて、体調を崩したり、生活に支障が出ている場合は、ぜひ医療機関を尋ねることもしてほしいです。)