先日、とあるセミナーへ参加しいろんなことを学んできました。
改めて自分の知らなかったことがいっぱいあって、その世界の深さ広さに感動。ワクワクしたその余韻はまだ続いています。
実は僕はインプットしたら、忘れぬうちに、温かいうちにアウトプットしたくなるたちでして、もう誰かに言いたくてたまらなくなってしまう。
落ち着け落ち着け 落ち着け自分
アウトプットもだが、忘れてはいけない大事なとこも大切に と自分に言い聞かせたりしています。
それについて、次のようなお話があります。
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教祖さまの元へ 大阪のある若い先生がお参りした時の話です。
当時は、電車はありません。船旅だったり、徒歩だったり。
この若い先生が教祖さまの所へお参りして大阪へ戻ると
大勢のご信者の方々が「待ってました」と言わんばかりに「教祖様からどういうお話をうかがったか」と話を聞きに集まって来るわけです。
この先生自身も皆さんに伝えることを自らの役目として、精一杯皆さんに伝えて喜んでもらっていました。
そして自分の信心話の材料が尽きると、教祖さまの元へ参り お話を聴かせてもらっていました。
その姿を別の言い方をしてみると、信心話の運び屋とも言えるかもしれません。
若い先生がそんな風なことを繰りかえししていたある時、
教祖様さまから
『信心は話を聞くだけが脳でない。吾心からも練り出すがよい』
と教えられたのです。
この教祖さまの言葉を この若い先生は、
『なるほど、お道の話しも充分に聞かねばならないが、しかし 聞いたばかりでは何の効果もない。
一度聞いた話はよく噛みしめて、これがこういうモノなんだなと まず自分の心に納得して悟って、
まず毎日の自分の生活、行いの上に思い合わせてみて
繰り返し使っていかなかったら、
信心というものは、自分のモノにはならないんだな』
とハッと気がつき 深く反省をされたそうです。
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「この話は大阪のご信者の皆さんに聞いてもらうのも有難いけれども、
ワシはお前さんに話をしているんぞ。アナタに向けて話をしているんじゃ。
まずアナタが習った信心を身につけて、まず自分を助けなさいよ。
そのことをよう分かってくださいよ」
と この先生が 教えの運び屋に終わってしまわないよう願われ
釘を刺したわけですね。
草花の種は 普通に巻いただけではナカナカ芽が出ません。
鳥が種をつついて食べて、その鳥の身体を通って、糞と一緒に出して地面に落ち、それでようやく芽が出るのです。
運んで撒いた種が 芽吹かないと意味がない
そのためには まず自分の中に一度通すこと。落とし込むこと と僕は思います。
その後、その先生はそのとおり信心を練りだして、先ず自分自身を助け、大きな働きをされました。
たくさんの人を助け、たくさんのお弟子さんを育てました。
教祖様の喜びの種が芽吹き 開花しました。