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執筆者の写真いっきゅう

一生青春

 新学期が始まり、新入生や新入社員が新しく学んでいる姿がまぶしい季節です。

 その姿に刺激を受けて、僕たちも学びの道を励んでいきましょう。



「一生青春」が一枚の紙の表面とすると、裏面には「一生勉強」。


 つまり「一生勉強」が欠けたら「一生青春」つまり生涯現役にはなりません。





 この世の中で、見えているもの・聞こえているものは、ほんの僅か。



 信心をしてたら、見えないもの・聞こえないもの に気づかせてもらうことがあります。


 それでますます 見えないもの、聞こえないもの の方がこの世の中にはるかに沢山あることが分かってきて、


 「今日はどんなことに気付けるだろうか 今日はどんなものを見せてもらえるかな、聞かせてもらえるかな」と毎日が心おどる思いがします。



 そういう風に生涯現役で自分の役目を自覚して努力を続ければ、

 そのまま自分の人生を終え、次のお霊さまになっても努力が続き、お霊さまとしての働きがしっかり出来て、神様の働きと一つ働きとなる。


 と僕は教わりました。



 その日その日の働きが永遠につづいていって、それがどこまで働きが広がるか、それを思えば今日一日が楽しいし、先が楽しい。


 生涯現役、これくらい面白い、楽しい働きはありません。



 信心をしてたら老け込むヒマはないんです。


 ますます若々しくなってキラキラ輝いて。そして、その輝きは自分が死んでからも、夜道の月明かりが道を照らすように、後の者たちを照らし導き続けます。


 

教祖ご理解37


『生きて居る間は修行中ぢゃ 丁度学者が年をとっても眼鏡をかけて本を読むようなものであろうぞい』



 常平生の生活の中で、習った信神を、気づせてもらった新しい生き方を 我が暮らしに取り入れ、それを繰り返して自分のものにしていく。


 そういう修行がいかに大事かを説かれています。



 しかし、それは苦しい道のりではありません。



 教祖様が仰る、この老学者は周りの若い学生以上の意欲と情熱で勉強に研究にいそしんでいる、楽しんでいる。


 そういう純真さの塊のような、元気の良い、若々しい老学者の姿が目に浮かぶのです。



 私どもは「生涯現役」で「一生青春」。


 その姿勢で進んでいって、いよいよは“神様の働きと一つ働きとなる”。



 ここまでのおかげを頂かせてもらいたいと思います。



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