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執筆者の写真いっきゅう

福は内

節分ですね。


一月を頑張った自分へのご褒美に、今年の巻寿司は具材のたっぷり詰まったのを買ってこようと思ってます。


疫病退散・招福来来との願いを込めて頬張るとしましょう。







最近気が付きました。


実は僕たちは鬼を追い払うようにして、良いものも追い払っていることがあるんです。



人から褒められた時につい否定していませんか?



僕は否定してしまっていました。


「いえいえ」とか、「またまたー」、「そんなことないですよ」って。


 謙虚さだと思っていました。良いことだと思っていました。

 「慢心を起こしちゃいけないから、のぼせたら終わりだから」って。



僕の場合、


「尊いお仕事をされてますねー」

 ↓

「いやいや、尊くない仕事なんてないですよー。みんな尊いですー」



「いつもきれいに掃除されてますね」

 ↓

「そんなことないですよー。あんまりこの部屋使ってないから」



とか、まあこんな感じ。



後者に至っては、「ああ、よっぽど掃除しない人間って思われてたのか」なんて心の中で自分に思ったり。


(我ながら、ここまでくると謙遜を通り越して、こじらせているように思わなくもない)



 人が褒めてくれるのって、言葉のプレゼントなんです。


 それを否定するってことは、プレゼントを受け取っていないのと同じことだと聞きました。


 ましてや、その誉め言葉はだいたい間違ったことは言っていない。本当に良いところを私のためにわざわざ見てくれて、教えてくれている。


 それを受け止められないのって損してると思いませんか?



 なぜなら、自分のいいところって意外と自分で分かってないもの。



 僕があるとき、自分のアピールポイントを探すために「僕の良いところってどこ?」っていろんな人に聞いて回ったことがありました。


 「そういう風に見てくれてたんだ」って嬉しくなりましたが、反面「そんなの自分にとっては普通のことじゃないか」って思いました。


 自分にとって息をするぐらいに当たり前のことすぎて、「良いところ」と認識してなかったんです。



 でも教えてもらったおかげで、気づけました。


 それで自分が少し変わることができたと思います。



 皆さんはもし、「あなたの良いところを紹介してください」って言われたとして、いくつ出てきますか?


 人の誉め言葉を受け止める事が出来ていると、結構出て来るものなんです。


 それは″自信がついた″とも言えるし、″生き力がついている″とも言えるのではないでしょうか。



褒められたら、


「ありがとうございます。めっちゃ嬉しいです。頑張ります!」


「ありがとうございます。皆さんのおかげです。(あなたのおかげです)」


お誉め言葉をありがたく頂戴しましょう。



それは自分らしく生きる力添えです。自分の栄養にしていきましょう。


「自分らしさ」「自分の価値」の再発見ができて自分の輝きが増しますよ。



もしかしたら、神様がその人の口を借りて言ってくださっているのかもしれません。


福は内! 福を招き入れましょう。





 尋求教語録 52 


 天に口なし 人をしていわしむ ということがあろうがな 神様は人の口を借っていわされることがあるから 信神しておる者は 子守の歌でも気をつけぇ うっかり聞いてはならぬぞ



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