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「また時を待って おかげを受けるがよい」
と教祖様は教えられたけどな
その神様の声は涙声なんぞ これが分かるか? ('_')」
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と生前 僕の先生が教えてくださった。
神様は どんな思いがあって なぜ涙声なのでしょうか?
なぜ私どもがおかげを受けることができるかと言えば、
「一緒に生きていくぞ」
という神様の親心が先にあって、
私たち氏子が拝む前から、すでに神様が私たちを拝んで下さっているから。
だから、私たちは生きていくこと、育つことができるんです。
信神する しないは関係なく
神様が先に私たちのことを拝んで下さっている事を知って
「ありがとうございます」
と私たちも拝まずにおれない気持になって 手を合わせている。
目には見えませんけども、
そういう風にして拝み合いをしているのが私たちの実際の姿。
私どもは「一生懸命にご信神する」と言いながら
ただこちら側から神様へ一方的にお願いするばかりで、
神様、御みたま様の温かいお心を感じ取ろうとしていないことが
多々あります
それでは信神の力(生きる底力)はつきません
だって神様の想いが我が手足を通して出てこないから
冒頭の
「また時を待って おかげを受けるがよい」
その神様の声は涙声という
これは
私たち一人一人に全力で寄り添い、
「幸せになるように」祈り続けてくれている神様の
「分かってほしい、何故わかってくれないのか」
「ちくしょう」
という悔しく悲痛な気持ち
「いや、必ず分かってくれる日が来る」
「気がついてくれる時がくる」
「絶対にあなたを助けるのを私はあきらめない」
という親としての覚悟
いろんな気持ちが入り混じった涙声と僕は思うのです