教祖さまは、様々なことを通して一つ一つ神様と信頼関係を築き、お慕いしていきました。
農業を通して御信神を磨かれていた時代のこと。
当時のお百姓さんは、農機械、農薬もありません。
稲を刈るのも、草を取るのも手作業、または、牛を使ったりです。草取りは頭を下げて、手ではいながら、稲株の周りをかなぐり取っていきます。
汗が逆さに流れ、容易な苦労ではありませんでした。
そういう中で、一服のお茶を頂きます。
木陰に集まって休んで、熱いお番茶を飲みながら、青田を渡る一陣の風の涼しさに思わず知らず「良い風じゃ。ありがたい。」と得も言われぬありがたさを感じ取っていきました。
今日も日は昇り、また日が沈み、いのちは天地の間に生まれ、天地に戻っていく。「今月今日」で一生懸命生きていたからこそ感じられるものがありました。それは物で栄え便利な現代とは比べる事が出来ないほどの感動があったと思います。
かんかん照りの日々が続いて、今年も猛暑の夏です。
私は8月になるとこの農業に精を出していた頃の教祖さまのお姿を思い、「この暑い中を通るからこそ頂けるものがある。さあ元気に8月の信心をさせて頂こう」と思うのです。
尋求教語録 第五十三節
『実意丁寧 これが金光様が神様から御信用を受けられて 生神に なられた本(もと)じゃ 天地金乃神様を信神する者は 此の本(もと)の実意丁寧を一番に見習わねばならぬ』
「実意」とは心の行い。「丁寧」とは体の行い。それも繰り返すことが大切です。
神様から授かった自分の生き道、我が命を「実意丁寧」で燃やし続けて生きる。燃やせば燃やすほど輝きは増し、我と人を照らし、本物の生きる喜びが頂ける。
「まこと」とは、この教祖さまの実意丁寧のことと私は教わっています。