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太陽の塔へ行ってきました

 春ですね。気持ちの良い季節となり、どこかへお出かけしたい気分です。

 

 僕はずっと行ってみたかった大阪の万博公園へ行って 太陽の塔を見てきました。

 行ってみて分かったこと。


 太陽の塔は岡本太郎そのものということ。

 とある人が「岡本太郎は太陽の塔になった」と表現していた理由が分かった気がした。


 太陽の塔の体内、

 最初に足を踏み入れた地下フロアは縄文の時代のエッセンスを抽出したような演出、腹の底からのエネルギーがあふれてくるかのような空間。


 「芸術は呪術である」という岡本太郎氏の言葉通りの価値観ぎゅうぎゅう。



 その空間を通り過ぎると「生命の木」という地上10階の高さまでニョキニョキ伸びるオブジェがそびえ立つ、太陽の塔の背骨だ。


 

僕の印象に残ったのは、1970年万博にあった他のパビリオンの姿形はすべて消え去り、だだっ広い万博公園の中に太陽の塔だけが今もドドーン大きくそびえ立っている姿。



 さらにぐっと気持ちが盛り上がったのは、太陽の塔は万博のテーマである『人類の進歩と調和』に対して、真逆を主張していたこと。


 「人類は進歩なんかしていないし、調和もしていない。本当の調和はぶつかりあうことだ」「私こそが反万博である」と縄文の感覚を取り戻せと考えていたとか。


 その解説文を読んで、「めっちゃかっこいい!」と思った。



 そもそも僕が氏に興味を持ったのは、

 火焔型土器の美を最初に発見したのが氏であったと知ったから。



 氏は縄文時代の土器や土偶こそが、日本芸術の原点に違いないと思うに至り、文部省に縄文文化について小学校の社会科の教科書に載せるべきだと訴えた。


 そこから芸術作品として再評価の流れが起こり、一般の人も注目するように。そしてついには火焔式土器は国宝となったわけです。



 他には、氏の著書の中にあったエピソードがたまらない。


 民俗学の分野に興味を持ち、見識を深めていった氏はある時、まだ日本に返還される前の沖縄の久高島に「御嶽(うたき)」という聖なる空間があり、そこには礼拝所もなければ、偶像も神体もない。氏は何もないその空間に沖縄の真髄を見た。


 同じ頃に様々な分野の研究者たちが調査していたが、その報告書には「沖縄の宗教の一番神聖な場所は、何もなくて、ただ香炉が置いてあるだけだ」とたった二行。


 それを読んだ氏は「なんだ、学者は無いものは書けないんだな」と言い、自著の『忘れられた日本-沖縄文化論』で、いかに価値のある空間であるかを臨場感ある文章で発表したのでした。


  僕にとって岡本太郎に惹かれるのはここ。

 「本物の値打ちが分かる」というところにググッとなる。


 氏の「自分はこれがをとても大切にして生きる」という価値観の強烈なエネルギーにあてられちゃう。



 そう、それと同様に

 1970年代 会社軸・他人軸で猛烈に働いていた日本人たちに

 岡本太郎氏の生き様とその価値観あふれるメッセージが刺さりに刺さったから、他のパビリオンは消え去っても太陽の塔だけが今も残ったのではないか。  と勝手な推察するのも楽しいことでした。

 
 


今ここ 神様とともに

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