大祭シーズンに思うこと
- いっきゅう
- 2024年4月10日
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4月5月は教内では大祭シーズンです。曽根教会は今月。
大祭前はお掃除や片付け、ご祭事の準備などがコツコツ準備を進めています。
心地よい春の陽気に包まれ、春を喜び、
自分のことやご信者さんのこれまでのこと。嬉しかったことや、有り難かったことを思い出したり、それから先どうなっていきたいかワクワクして、神様を思いながら。
今年は特に、僕が10年ほど前に才崎教会から金光までの50キロを歩ききった時のことを思い出しています。
最後は真っ暗な中を、痛んだ足を引きずるようにして階段を上ってやっとたどり着いた。
すごく感動したなあ。
大祭は神饌も、いつもより気合いが入る。
思い出すのは「供え」と「備え」ということです。
それは僕の先生から、教わった言葉
「あのなあ、お供えとおかげ(御利益)はつきものじゃねえぞ。比例せんぞ。
けどな、備えとおかげはつきもんなんじゃ。比例するんじゃ。
つまりなワシ等の「オソナエ」いうのは、金額じゃネエ。
豪華とか豪華じゃないとか、そんな姿形じゃねえんじゃ。
わしらのソナエは「備えよ常に」の「備え」じゃ。
つまり、どういう気持を自分に備えておるかどうか、どういう覚悟をしているかどうか、その覚悟とおかげはつきもんなんじゃ。比例するんじゃ。」
と教えて頂いたこと。

曽根教会の大祭にはいつも野菜をお供えされる方がいます。
その方の家は、お祖父さんの代からご信心をされていまして、
野菜をお供えをされるその方の心根は
「有り難うございます。あの時助けていただいた時のことを忘れません。神様を離しません。この信神を持ち続けていきます」
と自分の気持ちに備えをされている、自分に再確認しているのですね。
僕は毎回その方の姿から教えられます。
「真心のこもったお供え」というのはこういう事だなと。
尋求教語録136
どうぞ 信神する者は常平生心にみきを供えて祈れぇ 一切の願いご
とを成就さしてやる と金光様が教えてつかわされたが 信神する者はこれを
忘れてはならぬぞ みきというのは有り難き恐れ多き勿体なきの三つのきぞ
御信神する者の心から 此の三つのきが抜けたらおかげは受けられぬぞよ