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はっきり願うこと

 受験のシーズンですね。

 私も受験生や、その家族の思いとともに合格祈願をする日々です。  そして、「結果が出ました」と喜びの電話や、参拝されて結果報告を受けご一緒に神様へお礼の気持ちを伝える。  そんな嬉しいシーズンでもあるんです。

 思い出すのは、とある日の私の先生と信者さんとのやりとり 「そうじゃありません。はっきり『どうぞ合格さしてください。この大学へどうぞ合格さしてください。あなたのおかげで孫をここまで仕上げました。ここで合格すれば、大学へ合格せなんだら、あなたにも相済みません。どうぞ合格さしてください』というてはっきりお願いをさしてもらいなさい」


 「ありがとうございます。ほんなら元気を出して、孫のことを大学へどうぞ通らしてやってくださいと言うて、はっきりとお願いさしてもらいます」


 こんなやりとりを何度も何度も見かけました。

 そんな光景の一つ一つが私の記憶に残っています。






 先生は

「どうでも合格さしてください。この子供に学力が足らねば、その学力を後からでも、合格してからでも、足らんところは足してやりますから、どうぞ合格さしてやってください。そこまでに思うて、神様にはっきり合格のお願いをさしてもらいなさい」  とお話をしておられました。



 私たちは、妙に神様に遠慮をしちゃいます。


 “もったいないから”とか言って。


 実のところは、“こうしてもらいたい。こういうおかげを頂きたい”と思ってるんですけど、どうもそこがもう一つはっきりしない曖昧なところがあります。




神様にお頼みする時には、はっきり頼むこと


 例えてみれば、子供のことについて頼むのに


「どうぞお役に立つ人間にお育てください」と。便利のいい言葉ですが、これぐらい曖昧な言葉はありません。

 また「本人の役に立つような大学へ行かしてやってください」と言ったりするような、何かちょっとボーッとしたようなお願いをするけども、それはちょっとオススメ出来ません。

 神様にお願いをする時の一番大事なことは、はっきりと神様に自分の意志を告げること。


 「こうしてください。こういうおかげを頂かしてください」


 と、こういう心持ちでお願いをさしてもらう。




 なぜなら、それが「実意な心」ということだからです。



 教祖御理解の51節にこういう教えがあります。


 「天地の間に住む人間は神の氏子。身の上に痛み病気あっては、家業できがたし。身の上安全を願い、家業出精、五穀成就、牛馬にいたるまで、氏子身の上のこと何なりとも、実意をもって願え」



 この“実意をもって願え”ですね。どういう意味でしょうか?


 “実意”とは 心の姿 心の様子のこと。



 私たちは、天地金乃神様という天地の親神様を御信神さして頂いています。  つまり親神さま、親の神様です。



 その親へ願う一番の実意な心というと何かといえば



 “自分自身が神様の子である。自分が神様の氏子である”


 ということを、自分が自覚をして、

 子供が親に頼むような心持ちをもってお願いをする。

 

 子供が親に頼むような、親に頼むようなそういう心持ちで、お願いをさしてもらうということが“実意をもって願え”ということなんです。



 つまり、“実意な”ということは、


「自分自身が神様の氏子です。神様の子です。私はこれから親に対して頼むんだ」


 こういう心持ちを自分がもってお願いをすること。



 子供というものは、ある時は親に縋る。ある時には親に訴える。


 ある時には親に怒る、泣く、喜ぶ、話す、そういう心持ちを親に向ける、神様に向けてお願いをさしてもらうということが、これが実意ということ。



 “実意をもって願え”ということは、そういう子供が親に訴える、親に頼むという、そういう心持ちをもって、親にお願いをする。


 しかも、はっきりとお願いをすることが、これが“実意をもって願え”というておっしゃっているのです。



 神様は、「牛馬にいたるまで何なりとも実意をもって願え」とおっしゃっています。


 親の心を神様が丸出しにして、私たちに言ってくださっているのですから、


 私たちも、本当に親にものを頼むような心持ちで、しかも曖昧じゃなしにはっきりと神様にお願いをするいうことが、


 これがご信心で神様に願う一番大事なことと思います。


 
 


今ここ 神様とともに

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