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執筆者の写真いっきゅう

病気になっても、病人にはならない

「病気になっても、病人にはならない」



これは、


私はたしかに身体は病気になっているけど 心まで病気に支配されるようではいけない 



と 自分で自分に言い聞かせる言葉です。




先月、僕はそれを地で行く人の姿に触れました。 しかも二人も。



その人が教えてくれるまで、

僕は「え!? そんな大きな病を抱えているのですか?」って、まったく分からなかった。


お二人とも それぐらい、とても良い笑顔で元気のイイお姿だったんです。







考えてみると、


病になると、途端にワガママを言うようになる僕たち



「私は病人なんです。病気で大変な思いをしてるんだから、

これぐらいのことは大目に見てもらってもいいじゃないか。これぐらいのことは、聞いてくれてもいいんじゃないですか」


と口に出したり、態度に出したり。



そうやって、病人が周りの人を困らせることがある




これを「病気に甘える」と言います




でもね、本当は 



病人は病人でしなければならない努力がある。



一生懸命その努力をしなければならないのに、その努力をするのが嫌で

「私は病人なんだから」といって、少しでも楽をしようとする。




人様にお世話になっているのに「ありがとう」という言葉さえ言わない。


これは甘えている証拠。





 実は、上記の「病気になっても病人にはならない」を地で行くお二人に対して、


 僕はどう励ましの言葉をかけるべきか思いあぐね、結局言葉が出なかった。


 

 でも反対に、お二人の方が 僕へ励ましの言葉をかけてくれました。




 「どうしてそんな言葉が出てくるのか。自分ならそんなことが出来るだろうか、 いや出来ない」と僕は衝撃を受け、


 目頭が熱くなり ただただ頭が下がりました。



 そしてそのお二人の本気の励ましの言葉は 今だに僕の中に残ってうごめいています。


 お二人から確かに元気をもらった僕でした。




「甘える」



これは病に限った話ではないと思います。

 

難儀にも甘えてはいけません。不幸に甘えてはいけない。 そう思うのです。



今日 自分がすることは何ですか? 

今の我が命を燃やして、輝きを増していきましょう。






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全てを決するものは 今月今日(こんげつこんにち)である。 


昨日を誇ってもならない きのうを悔やむこともいらぬ。明日を空頼みしても駄目だ。


きょう一日、背信のない信神ができれば、きのうも救われ、きょうが助かる。明日は また 今月今日で頼めばよいのである


信神は ああせねばならぬ、 おかげは こうせねば受けられぬ と気負うことはいらない。

お取り次ぎくださる生神金光大神様が 一心に願う とおおせになっているのである。


これを信じ、これに従って、和賀心を頂いて おかげを受けさせて下さい と今月今日でお頼みすることが続けば 


続くところまで信神が続き おかげが続くのである



「尋求教語録 昭和43年百年祭の片岡次郎師の言葉より抜粋」


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