その昔、僕は師匠に尋ねたことがあります。
「信心していても、急に交通事故などに遭って人が死ぬのはなぜですか?」
先生はこう教えてくれました。
「人間の持つ物差しと、神様が持たれている物差しは全く違います。
神様はそのことを長い年月をかけて、世代を越えて教えてくださいます。
自分の人生に起きることに無駄ごとは一切ありません。
『神様がお守りくださっている筈なのに、何故不幸が起こって来るのか?』
ある意味、こういう疑問は、誰もが持つことかも知れません。
しかし、そこを通り抜けても役に立たない無駄な不幸があるならば、それは神様が取り除いて下さいます。
長い年月辛捧して結果が出てきたときに、本当の神様のお心が分かります。
これを繰り返している人が本当に素直で元気な人です。
信神させて頂いている以上、自分の人生の道中を無駄にしてはいけません。」
僕はこの言葉を聞いて、”自分の不幸を言い訳にして生きるのは止めよう”と心に誓いました。
そして、
何が出てきても「神様、このことで私はおかげを頂きます」と辛いことを捧げいただくような心持ちでそこを通っていくこと。
それが、結果が出て来る信心と教わりました
なにもそれは一人で通っていくのではありません。
神様や、親先祖のみたま様、教会の先生、仲間が一緒に通ってくれるから
「一人では通りこせない道を通り越すことが出来る」のです。