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執筆者の写真いっきゅう

一粒万倍になる人、ならない人

あけましておめでとうございます。 今年の元旦は一粒万倍日だとか。 そのほか天赦日など、すごくいい日が重なってるらしい…。

らしいというのは、何も僕がいい加減なわけではありません。 このお道では

毎日が神様が導いてくれる一粒万倍の日、やり直しができる日であり、物事を始めるのに最高の時

なので、あんまり日柄には執着してない僕なんです




が、この日を素通りしてしまうのは勿体ない。


そこで一粒万倍になる人、ならない人」その違いについて再確認するための日、それを念を押して教えてもらう日としたいです。



僕がそのことについて 教えてもらったのは以下のこと


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教祖御理解 第63節

『 一粒萬倍と云おうが 一人がおかげを受けたので 千人も萬人もおかげを受けるやうになるから 善い手本になるやうな信心をせよ 』

 このみ教えで大切な事は、全ての信神が、全ての一粒の信神が万倍になるというわけではないということ。  一粒で終わってしまう信神もあるわけです。



 だから教祖様が、「同じ信神するんなら、一粒が万倍に広がっていく一粒万倍の信神をしなさいよ」とワザワザ教えを残しておられるのですね。



 考えてみると信神というものは

 これは一人ひとりがいただいたものですから、他の人は真似できません。



 自分自身の御信神ですから、これは個人のものです。




 しかし、いかに個人の信神とは言いながら、

 周りの人達がそれを認めてくれ、見習ってくれる御信神でなかったら、


 その信神は教祖様、天地の親神様につながる信神とは言えません。


 私どもが教えてやろうとか、して見せてやろうとかいうような、

 人に見せるための御信神をしていれば それは一粒万倍にはなりません。

 一粒で終わってしまう信神 です。



「人の手本になれよ」とは仰るのではなく、

「良い手本になるような信神をせよ」と仰っています。



「人の手本になれ」という言葉と「良い手本になるような信神をせよ」とおっしゃっている違いはそこにあります。




私たちがさしていただきたいのは、

人に見せる信神でなく、 人様がひとりでに見習ってくれる、ついてきてくれる信神 そういう御信神をさしていただいたら、それが一粒万倍になる。


それが教祖様に本当に心がつながる御信神なんです。

この一粒の御信神を私たちはさせていただきたい。


僕は耳にタコができるぐらい 師から繰り返し教えられました

「人に信神を教えてやろうとか、ご信者を導いてやろうとか、そんなことは思いもするなよ。そんなことは思わんでいい。


 自分が教会という信神生活の場で、自分が一生懸命習った信神をさしてもろうておったらそれでええんじゃ。


 それでもしアンタが教会という信神の場で、自分の御信神をしておって、それを人様が見習うてくれて、ひとり後からついてこられる人がおったら、その人と一緒になって信神をせえ。


 二人になったら、その二人と一生懸命自分が苦楽をともにして信神をせい。それが本当の信神じゃ」


 と。



 この心が信神する者の一番基本の心なんです。

 この心で信神するということが、これが一粒万倍につながっていく信神


 自分の我流では万倍に広がっていかない。


 あくまでも 「教祖様、天地の親神様といつも一つ心になって、一緒になって、御信神をしてるんだ」という思いが核となります。


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